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数字

1947 年 7 月 4 日

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ことの起こりは実は同年 6 月 24 日のケネス・A・アーノルドによる 目撃事件なのかもしれない。

その日、アーノルドはカスケード山脈上空において飛行機を操縦中に、 高速で編隊飛行する 9 つの三日月型の物体を目撃した。 この話を聞いて集まった人々に、アーノルドは物体が飛行する様子を、 「投げた皿(saucer)が水面を飛び跳ねるように」と形容した。 この証言をもとに、マスコミは「空飛ぶ円盤(flying saucer)」という呼称を 使用する。 かくして、この日「空飛ぶ円盤」が誕生したのである。 この事件の報道により、 UFO と言えば、まず円盤という形状のイメージが 定着してしまう。 そして、「空飛ぶ円盤」の話題は、一気に全米に広まり、 UFO フィーバーが おとずれ、目撃報告が各地から相次いで寄せられることになる。

さて、問題の翌 7 月の事件は、有名な「ロズウェル事件」である。

この事件を最初に報道したのは、 1947 年 7 月 7 日付けのロズウェル・デイリー ・レコード紙の 「RAAF Captures Flying Saucer On Ranch in Roswell Region」という 記事であった。 この記事によって、 RAAF(ロズウェル陸軍飛行場) がロズウェル近郊の 牧場において牧場主の発見した円盤を回収したという、 1 将校の談話が、 7 月 7 日の昼の RAAF 情報部の発表として報道されてしまった。 またこの記事には、 7 月 2 日の夜、ロズウェルに住むウィルモット夫妻が、 輝く大きな物体が飛び去るのを目撃したという話も付け加えられている。

しかし、「観測気球の間違いだった」というレイミー准将の公式の否定会見が ラジオで行なわれ、 7 日 8 日の同新聞でも、これが報じられた。 この結果、この事件は、人々からしばらくの間忘れ去られることになる。 なお、同新聞には、この墜落物体を発見した牧場主 W・W・ブレーゼルの インタビューも載っている。 これによれば、墜落物体を最初に発見したのは、なんと 6 月 14 日であったという。 その日は急いでいたので、 7 月 4 日に再びその場所へ行き、残骸の一部を拾った。 そして 7 月 5 日に、初めて「空飛ぶ円盤」の話を聞き、 7 月 7 日に保安官に 連絡したというのだ。

以上のように、ロズウェル事件は、最初の報道からして、だいぶ混沌としたもの であった。

ところで、しばらく忘れ去られていたこの事件は、 1980 年に出版された本で 蒸し返され、第 2、第 3 の墜落現場、 MJ-12、 MIB、宇宙人の死体を回収、 死体の解剖フィルム等々、物議を醸し出す数々のアヤシイ品々が登場することに なる。

なお、墜落した観測気球は、だいぶ後の 1994 年になって、モーガル計画の ものである可能性が高いと発表された。 この極秘計画の目的は、上空を伝わる低周波の音波をキャッチして、 ソ連の核実験を観測することだったという。

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